〜 特 別 寄 稿 〜

これからの環境政策は


眞柄 泰基



北海道大学
公共政策大学院
特任教授
眞柄 泰基
眞柄 泰基(まがら やすもと)プロフィール
1941年 神奈川県生まれ
1966年 北海道大学大学院工学研究科衛生工学専攻修士課程修了
     北海道大学工学部 助手
1970年 国立公衆衛生院衛生工学部 技官、のち同部長
1997年 北海道大学大学院工学研究科都市環境工学専攻 教授
2004年 北海道大学 創成科学研究機構 特任教授
2005年 北海道大学 創成科学共同研究機構 特任教授
              公共政策大学院 特任教授

1.環境政策の広がり
  土壌汚染対策法が平成14年に定められてから、3年余を経過した。環境基本法や環境基本計画により、環境行政が展開されており、生活環境の保全、有害化学物質のリスク管理そして自然生態系の保護・共生へと着実に範囲と深さを増している。土壌汚染対策法はその代表的ともいえる制度であり、その意義は、環境行政がまさに日常の生活空間にまで配慮されるようになったことにある。

2.水環境政策の歩み
  環境行政が積極的に展開されるようになった1960年代後半から1970年代初頭の国土環境は惨憺たる状況であった。海、川、湖、土、空気、そしてそこで育まれる魚から農作物、さらに人にまで水俣病から、喘息と、環境破壊に伴う事例を挙げきれないほどであった。風物詩ともいうべき隅田川の花火や早慶レガッタさえ中止されるほど深刻な状態であったのである。そのような惨憺たる状態から脱却するために各種の規制的な措置も伴う環境行政が進められてきたのである。その頃より経済成長が順調であったこともあって、規制的な措置を伴う環境行政がそれなりの役割を果たし、今日の環境状態へと回復してきたのである。

  1970年代の水質汚濁防止法、屎尿の衛生処理の推進による海洋投棄や埋め立て処分からの転換、下水道の整備により、いわゆるBOD対策が公共用水域の水質汚濁に功をもたらした。しかし、化成品の民政利用が促進され、その代表ともいうべき界面活性剤やその添加剤であるリンによる水域の富栄養化が促進され、しかも水需要量の増加に対応するため新たに創造された水環境ともいうべきダム等停滞水域の増加とそこでの植物プランクトンの過剰増殖という新たな環境問題が発生した。しかし、経済力が備わっていたことから1980年代での総量規制制度や湖沼保全法、合成洗剤の無リン化やソフト化に対応出来、環境基準の達成率が低いものの、さらなる汚染を防止出来るに至っている。さらに、分析化学の進歩により多くの化学物質が環境中に存在することが次から次へと報告されるようになった。その代表ともいうべき水道水中のトリハロメタンの存在はその後の環境行政、とくに化学物質のリスク管理への端を開いたのである。トリハロメタンは水道での塩素消毒が原因であることから、環境行政というより水道行政の問題とされた。

  しかし、水道行政でのトリハロメタン対策を進める過程で、地下水を水源とする水道からトリクロロエチレンが全国的に検出され、環境庁による地下水の全国調査が実施された。その結果は、水道水からのトリクロロエチレンなど有機塩素化学物質の検出状況から想定できないほど、清冽な地下水に恵まれているとされていた地域でさえこれらによる汚染が認められたのである。しかも、その原因が、未規制な化学物質であったものの、それらの使用における扱いが不十分で、使用されている工場などの敷地内の土壌ばかりでなく、敷地外の地下水を汚染していることが明らかとなったのである。これにより、地下水の保全が環境政策の重要な枠組みに組み込まれるようになったのである。

3.化学物質のリスク管理へ
  トリクロロエチレンなど有機塩素化学物質の地下水汚染を契機として、表流水を中心に進められてきた水環境行政は、化学物質による地下水汚染と土壌汚染にも関与せざるを得なくなったのである。まさに1990年代に入ってからである。これには、WHO飲料水水質ガイドラインや米国EPAの安全飲料水法、EUの飲料水質指令など多くの工業先進国が、それまでのヒトに重篤な障害を及ぼすことの蓋然性が高いものについて規制の対象としていたものから、さらにヒトへの健康影響リスクがあると考えられる物質まで広がり、いわゆる未然防止の観点から化学物質のリスクを管理するように転換していったことも背景にある。水道法に定める水質基準や環境基準の健康項目が平成4年に改正されたことにより、我が国でもリスク管理手法が環境政策の重要なものとなり、第三次環境基本計画でも重点分野に取り上げられるであろう。

  水を介した汚染物質の移動による土壌と水の相互の汚染という悪循環を断つためには、土壌環境を健全な状態に維持しなければならない。このようなことから土壌汚染対策法は、健康影響リスクを有する化学物質を対象とするところからはじまり、油汚染を対象とするように広がろうとしている。対象となる化学物質などを使用する場所の土壌にしろ、地下水にしろ、土地の所有者の権限が及ぶ私有財である場合が多く、公共財としての認識が薄いのが通例である。しかし、都市構造や産業構造の変化に伴って、土地の譲渡が行われるようになると、その土地の質、その土地が利用されている過程で有害物質や利便性を損なう化学物質等がそこへ意図・非意図を問わず混入したときに、その土地の価値が減少するばかりでなく、後の所有者の健康影響リスクを高めたり、利便性に障害が生じることになる。いわば、負の財産が加わることになるのである。そのためには、その土地の履歴に応じて、土地のクリーンさを明らかにしておかなければならないし、必要に応じてクリーンな状態に回復しなければ、社会的な公正さが失われることになる。これを担保するのが土壌汚染対策法でもある。それにつけても、このような制度を環境行政の枠組みで運用しなければならないことは、私有財である土地がいかに見識なく、環境リスクについての配慮がなく、そこへ負の遺産を埋没させてきたことを物語っている。しかし、降雨が水資源として涵養される過程で土壌に浸透して地下水となったり、表土と接しながら表流水となるのであり、土壌の影響は存在するものであり、このようなことからすれば、水・土壌を一体としての環境政策が求められる。健全な水循環にかかる総合的な政策展開が求められる所以である。

4.さらに求められるのは
  アスベストがまさに負の遺産であるように、国土の有効な活用を損なう化学物質等が明らかにされないまま散在しているともいえる。そのための新たなモニタリング技術や対策技術が開発され、活用されている。しかし、いかなる技術でも適用できるとは限らない。

 そのための、対策技術が開発され、浄化事業がおこなわれているが、環境認識と環境倫理を高めることがないかぎり、類似の事象が顕在化し、社会的費用の増加を招くのではないかと懸念している。

  我が国の水環境行政は、およそ10年毎に新たな課題に対する規制的な措置を執りながら進んできている。それが功をそうじてきたのは、経済成長にともなう国力がそれらによる社会的な負担に耐えられたからであろう。しかし、近隣の新進工業国では、我が国がおおよそ半世紀かけて経験してきた環境問題を一期に抱えており、その状況は深刻であり、それなりに政策が展開されているが、問題解決は遙か遠いところにあると思わざるを得ない。中国の化学工場の事故により、遙か下流のロシアまでその影響が及んだことは記憶に新しいところである。我が国の環境行政は、様々な環境汚染・破壊に伴う事象に対して、的確に対応し、政策的にも科学技術的にも世界のトップリーダーである。しかし、蓄積されてきた経験や知識が、新進工業国の環境問題の解決にどの程度貢献できるかどうかについての検証が必要であると考える。土壌汚染対策についても、土壌浄化技術にしても、国内で行われていることが、それらの国々の置かれている社会・経済的な制約条件のなかで適用できるかどうかについてである。