特 別 寄 稿 〜


人間活動と土壌汚染の歴史

=大阪城堀堆積物に記録されていた重金属汚染の変遷=

近畿大学助教授 
(理工学部生命科学科)
環境解析学科
山崎 秀夫
山崎 秀夫 プロフィール
1951年    群馬県生まれ
1980年    近畿大学大学院博士後期課程修了
1980年    近畿大学理工学部助手
1990〜91年 アリゾナ大学客員研究員
2004年    近畿大学助教授

1.はじめに
  明けましておめでとうございます。本年も皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。
  昨年は相次ぐ台風の襲来や地震など自然災害の多い年でした。ロシアの批准によって京都議定書が実質的に発効した年であり、また過去数十年間上昇を続けている大気中の二酸化炭素濃度がこの数年でさらに急増し始めたことがはっきりしてきた年でもあります。最近は「例年に比べて…」という言葉をしばしば耳にします。人間活動の影響によって地球環境が大きく変化しつつあると言われています。地球温暖化の問題はその最たるものです。しかし、地球の温度は二酸化炭素よりも太陽活動に支配されているという説もよく聞きます。気温の急激な上昇とゆっくりした低下が約10万年ごとに繰り返されるミランコビッチ変動は氷床や底質から採取されたコア試料の中に明確に記録されています。現在の温暖化は12,000年前に終わった寒冷期の後に来た気温上昇期と同調しているとも考えられています。いずれにしても、地球温暖化の原因が明らかになるのはもう少し先のことになりそうです。

2.人間活動と地球環境
  地球上に比較的高等な生物である藻類が誕生してから約30億年が経つと言われていますが、その間に地球生命は11回も存続の危機にさらされました。6,500万年前に起きた恐竜の絶滅はよく知られています。これらの大絶滅はいずれも地球規模で起きた気象変動が原因と考えられています。幸い地球上には多様な生物種が生存しているので、絶滅を生き延びた種が新たな進化を遂げて、現在の生態系が形成されてきたと考えられています。巧妙なバランスによって、地球環境はその恒常性を維持してきました。
  一方、人類が地球資源を利用して生産活動を始めると、人間活動が地球環境に影響を与えるようになります。人間が自然環境に与える効果を歴史的に解明することは、健全な環境を持続していくために必要不可欠です。人間が地球的規模で環境に影響を与え始めたのは、英国で始まった産業革命以降だといわれています。図1は北極氷床コア中の鉛濃度が時代と共に変化する様子を示しています1)。人為的に排出された鉛が大気を通して北極まで運ばれ、そこの氷
中に閉じ込められていたものです。地球規模で起きている鉛汚染の実態を示す例としてしばしば引用されます。この図から過去200年間に大気中の鉛濃度が急増していることが分かります。わが国においても、明治維新以降の産業近代化によって多くの汚染物質が環境中に排出されてきました。ここでは大阪城のお堀に積もった堆積物を用いて、大阪における人間活動と環境汚染の関係を解析した例を紹介します2、3)。

図1 北極氷床コア中の鉛濃度の時代変化
            参考資料(1)のデータを改訂して引用

3.大阪城の環境
 
図2に大阪城周辺の地図を示します。JR大阪環状線外周りで京橋駅を過ぎると右手に高層ビルが並び、その奥に大阪城天守閣が見えてきます。2つ先の森ノ宮駅まで、右に公園、左には車両基地が広がっています。明治3年、政府はわが国最初の近代産業である砲兵司と造幣局を大阪城に隣接して作りました。砲兵司はやがて陸軍大阪砲兵工廠と名前を代えます。130万m2の敷地に広がる工場群で最盛期には7万人が働いていましたが、第二次大戦終戦前日

図2 大阪城の周辺と試料採取地点
の大空襲で壊滅します。 戦後のこの焼け跡を舞台に開高健氏は〈日本三文オペラ〉、また小松左京氏はSF仕立てで〈日本アパッチ族〉を書いています。2002年には〈夜を賭けて(監督:金 守珍、出演:山本太郎、風吹ジュンら)〉という見ごたえのある映画も作られています。大阪城は市街地に位置するので、近世から現在までの人間活動の影響を直接受けてきた場所であるといえます。大阪城の現存する堀は二代将軍秀忠によって1620年頃に修築され、城は内堀と外堀で二重に囲まれています。内堀と外堀は地中の石積みを通してつながり、城内に降った雨水が溜まっています。堀から溢れた水は大川(旧淀川)から大阪湾へと流出します。即ち、堀には城内の土壌だけでなく周辺地域から大気中を運ばれて城内に降下した土壌も堆積していると考えられます。このようなことから、大阪城堀堆積物には江戸初期から現代までの大阪市街地の環境変遷が記録されていると期待されます。

4.大阪城堀堆積物の重金属汚染とその歴史的変遷
 外堀の図2に示した地点でコア試料を採取しました。長さ約2mの底質コアの最深部は砂礫を大量に含む粘土層でした。従って、このコアには堀の基盤から現在までの堆積層が含まれていると判断しました。過去150年程度の堆積年代は天然放射性核種210Pbの鉛直分布から推定できます。戦後の大気圏内核実験で環境に負荷された人工放射性核種137Csの分布も時間マーカ
ーとして利用できます。図3には210Pb法で推定した堀堆積物の年代に対して堆積物中の137Csの分布をプロットしています。大気からの137Cs降下量は核実験の実施に伴って1950年頃から検出され始め、1963年に極大値を示した後、現在に向かって減少します。図3を見ると、堆積物中の137Cs濃度は1963年頃にピークを示しているので、210Pb法で同定した堀堆積物の年代が実際に堆積した時代と整合していることが確認できます。
  堀堆積物中の重金属濃度と堆積年代の関係も図3に示しています。銅と鉛の汚染は明

図3 大阪城外堀堆積物中の137Csと重金属元素の
鉛直分布
治維新前後から始まっています。1900年代に入るとこれらの濃度は急増します。この時期は日露戦争と前後して砲兵工廠が大幅に拡張された時期と一致します。第二次大戦後、一時的に濃度が上昇するのは爆撃で破壊された砲兵工廠から大量の汚染物質が飛散している可能性を示しています。戦後の高度経済成長期に鉛汚染が進行していますが、逆に銅濃度は低下しています。戦前、戦中の砲兵工廠からの汚染があまりにも顕著であるので、経済成長期の汚染が隠蔽されているのかもしれません。新世代の金属素材であるクロムの汚染は1920年頃まで殆ど認められません。クロムの使用履歴が汚染のトレンドに反映されている結果と思われます。

5.おわりに
  以上のように環境汚染の変遷を時系列に沿って解析することができると、人間活動と環境汚染の関係を歴史的に議論することが可能になります。近年、環境汚染物質による生体暴露の問題に関連して、土壌汚染の動態解析の重要性が改めて指摘されています。そのような観点からも、人間活動と土壌汚染の関係をさらに詳細に解明していく必要があると強く感じています。

参考資料
  1)M.Murozumi et al., Geochim. Cosmochim. Acta, 33, 1247(1969).
  2)朝日新聞、2003年7月14日夕刊1面(関西版).
  3)稲野伸哉ら、第四紀研究,43,275-286(2004).