〜 特別寄稿 〜

20年の想い出


和歌山大学 システム工学部
平田 健正 

プロフィール
昭和25年生まれ
昭和48年 大阪大学工学部土木工学科卒業
昭和50年 同大学院工学研究科修士課程修了
昭和55年 国立公害研究所研究員
平成7年 和歌山大学システム工学部教授

 依頼原稿や講演の中で、1982年に実施した環境庁地下水汚染調査結果を頻繁に引用します。日常的にバージョンアップされるITソフトやパソコンなどから考えますと、ほぼ20年を経過したデータは博物館展示に等しい代物でしょうが、利用するには理由があります。1982年の調査資料がわが国の地下水汚染状況を如実に表しており、現在でも全く色褪せていないことに加えて、私自身が鮮烈な経験をしたからです。
  そのころ国立環境研究所(当時は国立公害研究所)の研究員でした。有害物質による地下水汚染がある程度予測されていたとはいえ、幾日も新聞紙上の第一面を飾る汚染報道に、研究所のシニアな先生方が対応に苦慮されている姿を目の当たりにしたことが鮮明に記憶に残っています。
  環境庁(現在は環境省)の検討会や研究所のプロジェクトなどで汚染原因究明手法の開発、修復技術の開発と評価を通して、多くの現場を経験することができました。山形県から沖縄県宮古島まで、いちどきに20箇所以上を担当している時期もありました。
  失敗もありました。おそらくわが国で最初に土壌ガス吸引を行った修復事例ですが、夜間に大層な騒音を出してお叱りを受けたことや、さらに徹夜でのデータ取りで水マノメータの水が凍ってデータ採取ができなかったこともありました。
  工場敷地内での土壌ガス調査で、鉄パイプを打ち込みガス採取孔を穿つのですが、土ではなく消火ラインを破り水が噴き出したときには肝を冷やしました。
  汚染現場も小規模な事業場から国レベルのかなり規模の大きい現場まで様々で、対象物質も多様です。大久野島や上九一色村、中国に遺棄された旧日本軍の化学兵器処理など、毒ガスの生産・遺棄に関係する調査・対策にも参加することができました。
  こうした実際の現場経験から、土壌や地下水といった目には見えない空間での調査や修復の難しさを学ぶことができたと考えております。今は多くの方々に支えられ、土壌・地下水汚染関連の成書の監修などをさせて戴いておりますが、過去を振り返りますと、少々気恥ずかしさを覚えます。
  調査データの公表自体が憚られた頃と比べて現在は、不動産売買時には土壌調査が不可欠な契約事項になりつつあり、隔世の感があります。積極的に汚染物質を除去・無害化する技術や、受動的ではあるが敷地境界を越えて汚染物質を拡散させない反応壁、さらには説得力ある対策終了を目指した自然減衰評価など、調査技術を含めた対策技術の開発・実用化には長足の進歩が見られます。
  ISO14000シリーズの取得・維持、近い将来に予想される企業の環境格付け、ステイクホルダーとのリスクコミュニケーションや説明責任の実行など、企業イメージ向上に向けた取組が修復対策を加速することは事実でしょう。
  潜在的に巨大な市場を期待して、汚染の恐れのある土地の評価と汚染修復、その後の土地利用を視野に入れたリスク評価など、新しいタイプの事業も企業化されています。
  大規模事業場では自主的に対策が実施されています。ただ資金的に余裕のある事業場は積極的に修復事業を進めるでしょうが、単に汚染原因者側と請負側の企業活動のみで汚染修復するのであれば、おそらく土地は虫食い状態になり、かえって土地の流動化を妨げる要因になりはしないだろうか。
  ややもすると土壌・地下水汚染は、企業活動に伴う負の遺産とみなされることが多い。ただ負の遺産と考える限りは、修復対策を発展させることは難しい。少なくとも資産価値を維持する、あるいは高める、といった姿勢が強く求められる。汚染があるからといって開発・再開発が断念されるような事態は避けたい。修復後の土地利用と企業活動から得る利益を含めたトータルな社会資本整備という視点から、汚染された土壌・地下水の修復には、環境として土地としての価値を高めるような公共マインドが是非に望まれます。

大会事務局との情報交換会


当センター平成12年 度海外視察団でのひとコマ

(コンソイル2000 ドイツ・ライプチヒにて)





現地留学生との交歓会