巻頭言

 土壌環境ニュース第2号のコラムに拙文を掲げる機械を与えて頂き大いに恐縮しております。今後の土壌環境センターの一層の発展を期待するものであり、人の快適環境創造のため、力強い指導力と適切な提供に大いに役立たれることを期待しています。
 今日、人の生活において、食料品を始め、あらゆる便利で、機能的な物が金を払えば手に入る、いわゆる大量生産、大量消費、大量廃棄の時代となり、住宅もウサギ小屋と言われつつも、数ではほぼ満たされ、その上で質的転換が求められる時代となっています。昨今、各家庭構成も益々変化し、少子時代となり、過去や現代の日本文化を未来へと如何に継承するかが問題になりつつあります。社会生活のルール、生き方、生き甲斐、人として試すべきこと、試してはいけないことの教育が十分でないのか、宗教家や哲学者が教育を放棄したのか、無責任時代の到来は全く目を覆うばかりであります。君も年取ったねと嘆かれるかもしれませんが・・・。一方、環境問題は身近な公害問題からその規模と広がりを格段と変えました。多くの地球環境問題が提起され、人が住みうる場の確保自体が懸念されるレベルに至り、いわゆる環境の時代の幕開けとなり、あちこちで見られた公害の文字が、何となく古めかしく、密かに消し去られる時代となっています。高度情報化社会の充実、形成をもとに、経済的なゆとりと時間的なゆとりから、人の生活仕方が都会であれ、農村部であれ、大きく変化し、豊かさや個人的な個性を育むことへ関心が移り、質的な向上を望む時代となってきたこと自体、日本人社会の成熟を示すものであるかもしれませんが、一般生活・産業活動に関して、環境面から見た規制が一層強くなり、制限が加えられる時代となりつつあります。 この時、今までほどんど意識されてこなかった生活環境汚染として、土壌汚染や地下水汚染が顕在化してきています。軍関係施設や工場跡地、あるいは公共機関などの移転跡地などの現有姿を変更・再開発しようとするとき、初めて汚染が認識されたり、特定工場排水ないし漏出水による汚染などとともに問題を提起しています。
 直接汚染が人体影響として現れることは少なく、長期間低濃度の汚染物に曝されることで問題が生じたり、長い時間的な経過の中でゆっくりと移送されて、汚染場から離れた人間生活の場に顔を出す場合もあり、問題発現と汚染の場および年代とが著しく異なることがあるのが特徴的であります。いま対象となりつつあるのは、公害の時代に問題となった直観的な健康障害を起こす事象である有機性汚濁や重金属汚染だけではなく、環境の時代の汚染項目である発ガン性物質や環境変異原性物質などであります。このような様態を考えると、土壌・地下水汚染は汚染事象としては公害の時代であり、発生源対策や処理対策を必要とし、質的には環境の時代の問題といえましょう。公害のっじだいの対象濃度は、r/lであったものが、環境の時代にはμg/lとなり、オーダーが3桁下がることを意識し、r/lを対象とした処理・分析技術をそのままμg/lを対象とする処理・分析として踏襲できる場は限られていると言わねばなりません。被害が直接特定しにくい場合が多く、対策を考慮するときにはリスクアセスを含むより新しい概念や規範の適用が求められるし、自然を相手とした、広く大きな対象場での処理技術が求められています。