登山雑感


(社)土壌環境センター 事務局長 阿部辰也

  「山頂で富士山を見ながら、酒を飲んでみませんか」と柳さんに声をかけられた。「ああ、いいですね」と答えてみたものの、ふと不女になった。ここしばらく山に出かけるチャンスもなく果たして以前のように登れるだろうか。 家の近くのスポーツクラブで毎日鍛えているとはいうものの、秋頃から不整派などもみられ、好きな酒以外は少し気をつけようと思っていた矢先だった。左肺上葉なし、胃袋なし、背骨にできた腫場の大手術の跡、その他病気のことを書けば際限ない。それに何よりも70歳を間近に控え、もう若くはない。しかし、こういう楽しい誘いは、快く受けたい。「よし、行こう」と決心した。
 石割山の登山口、いきなり数百段の階段から始まった。中段にさしかかった頃は、息づかいも激しく、こんな調子じゃどうかと思ったが、皆さんが気を使って私にペースを合せてくれたおかげで、なんとか頂上に達することができた。4、5年前までは都内では2番目こ高い鷹の巣へ軽快に登っていただけに少々ショックだった。
 久しぶりに見る山の景色は、すばらしい。とくに雄大な富士山全体を目のあたりにしながらの熱燗や熱いうどんが格別であった。登山をする事は、山と向き合うというより、自分と向き合う事のように思える。帰途、こういう登山も、いつまでできるのかと少々淋しくなった。
 妻に先立たれてからもうすぐ12年がたつ。一人暮らしにもなれ、どんな時にも積極的で前向きに生活しようとしてきた。だが、老いには逆らえない。いつも、娘たちに「もう、歳なのだから」と、いたわられると反発して強がっていた。しかし、こうやって自然の前では自分の老いを素直に受け入れられるような気がする。焦りではないが、残り少ない時間を大事に有効に過ごしたいと思う。悔いのない人生とはどんなものなのだろうか。今は、難しいことは考えず、残された時間を「生きてる」と強く感じながら過ごしていきたい。見るもの、聞こえるもの、味わえるもの、感動するものすべてを身体全体で感じていたい。
 日頃、仕事や生活の雑務に追われ、自分と向きあう時間を持つ事もなかったが、山の空気に「老いること、生きること」を問いかけられた一日であった。