編 集 後 記

 故郷の宮城に8月帰省した。仙台駅まで出迎えてくれた兄の車に乗り、実家へは直行せず、被災地である仙台市郊外、石巻、南三陸町を回りながら登米市の実家に帰った。 港湾沿いの住宅地は廃墟となり、思い出の町は面影を残すことなく全てが消えうせ、なぜか自然と涙があふれでた。 被災者への哀悼を示す祭壇があちらこちらに設けられ、お花を供える人、お線香をあげる人でごった返していた。
 家に辿り着くまでの道路の至るところでマンホールが浮き、路面が亀裂で歪み、港湾の土地の地盤が大きく沈下し、大潮の時期を迎えて道路は冠水が相次いでいた。
 本当に元の町に戻るのであろうか。 少しずつではあるが、被災地の町づくりは確実に行われている。40数年前の地震で、お袋の足にしがみつき泣き叫びながらドアを蹴り破って戸外に倒れ出たことが思い出された。
(広報分科会 石川 次男)

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