〜 特 別 寄 稿 〜

地下水流動系の環境に対する役割


佐倉 保夫



千葉大学理学部・教授
日本地下水学会・会長
佐倉 保夫
佐倉 保夫 プロフィール
1946年  滋賀県生まれ
1969年  北海道大学理学部卒、のち同大学院
       博士課程中退
1975年  筑波大学水理実験センター(現・陸域
       環境研究センター)準研究員(技官)
1982年  千葉大学理学部助手、のち助教授を経て
1997年  千葉大学理学部教授
2003年  日本地下水学会会長
       現在に至る

1.はじめに
  土壌環境センターから本ニュースの執筆依頼を受け、私自身が地下水や土壌水に関する研究や教育を行うことになった経緯を振り返ってみることにした。さらにはJ. Toth(ジョゼフ・ト−ト)との出会を通じて、地下水流動系の考え方が地下水問題を理解する上でいかに重要かについて述べる。

2.地下水流動系
  従来の地下水学は、地下水資源の開発に関連して、地下水探査や帯水層評価のため水理解析など実学的な色彩が濃い分野であった。そんな中で大学院修士課程に入学直後(1971年頃)、昨年亡くなられた中尾欣四郎先生(北海道大学名誉教授)からToth(1962,1963)とFreeze & Witherspoon(1966)の論文を読むように指示された。直接的には、当時、北海道開発局が計画していた漁川ダムを建設した場合、下流の恵庭市の地下水に影響を及ぼすかどうかという問題を解くための手法を手に入れるためであった。
  地下水流動を流域単位で理論的に解明することは、流域の水文循環が明らかになることである。従来は河川流出のみが水文現象の出力であったものが、流域の地下水挙動をも関連付けられる可能性をもっていることで、水文学的あるいは地球科学的な貢献につながることが予感された。しかし現実には、Freeze & Witherspoon(1963)に従って、河川縦断面方向に地下水面を直線の折れ曲がりで近似する定常状態の解析解を用いた単純な地下水流解析を行ったにすぎない。その後も地下水流動系の三次元数値解析を行った。これらの理論解析の結果、流域最下流部に地下水流出域が形成されること、そこには天然ガスを含む自噴井が存在することなど興味深いことが明らかになってきた。そして涵養から流出に至る地下水流動系の存在を野外調査で実証することを目的に研究を進めようとしたが、実証するための観測井もないため地下水頭分布からではなく、地下水の温度分布から地下水流動系を推定する研究に方向転換していった。

3.地下の温度分布と地下水流動系
  米沢盆地において、1990年に10本ほどの30mから200mの深さの地下水観測井の水温プロファイルを計測する機会があった。年間に4回測定した結果、地下20m以下では温度変化はほとんどなく、地下水の涵養域で地下温度が相対的に低く、流出域で温度が相対的に高く歪む現象を捉えることができ、地下の温度分布による明らかな地域地下水流動系の推定ができた。盆地の地下水流動系は非常に単純で、周辺の山麓が涵養域、中央部の低地が流出域として機能するからである。地下の温度分布の形成要因は、地下水の流動だけでなく地表面温度の変化にも大きく影響を受けていることが最近の我々の研究から明らかになってきた。世界の各地で森林伐採による畑地化や都市化、あるいは鉱山の開発などの人間活動により、この百年で1から3℃程度の温度上昇が地下の観測井の温度変化として記録されていることが分かってきた。地下の温度形成機構は模式的には、図1に示すことができる。この地下温度の上昇は、その後、東京、大阪、名古屋を初め多くの地方都市でも観測されている。その中で、新潟県長岡市の例を以下に紹介する。
  長岡市における20年前の観測井の温度プロファイルと最近のそれとの比較から、気温の年変化が及ばない深さで、市街化地域では人間活動に伴う明らかな温度上昇、周辺の農業地域では変化なく、信濃川から百数十メートルの所では図2のような温度低下を示した。これはこの地域の河川と地下水の関係が、従来は地下水が河川に流出していたのに対して、近年の市街地における消雪用地下水の揚水の影響で、信濃川の河川水を地下へ引き込んだことによる。地下水の水質や、酸素・水素の同位体比からもその地下水が信濃川河川水起源である事を裏付けた。
図1 地下の温度形成機構
図1 地下の温度形成機構
図2 長岡市の信濃川沿いの観測井における温度プロファイルの変化


図2 長岡市の信濃川沿いの観測井
  における温度プロファイルの変化

4.おわりに
  昨年10月メキシコ・サカテカスにおける国際水文地質地下水学会に参加して、特別講演者として招かれていたJ. Toth先生に初めてお会いできた。長年の夢がかなって、「貴方がいたから私が今ここにいる」ことを伝えると、先生も大変喜んでくれた。5日間も同じホテルで、帰りのサカテカス−メキシコシティ間では飛行機の座席が隣となり、地下水流動系誕生とその後の発展についての話を伺うことができた。来年2月から3月にかけて日本にお招きする予定である。彼がいなかったら地下水流動系の概念形成は遅れ、地下水学の地球科学的位置づけも遅れたことであろう。その後の地下水シミュレーション技術の発展は目覚しく、誰もが地下水流の流線やベクトル表示で地下水流動の可視化の恩恵を受けることになった。しかし、自然の場の地下水流動系の理解や地下水流動を支配する境界条件の適切な設定をなくしては、地下水汚染を含むあらゆる実用的な場の地下水流動の理解は進展しないと考えるべきである。
  地下水の最大の特徴は、移動速度が遅いことである。最近、顕在化する地下水汚染の起源も実はこの数十年程度の人間活動によることの可能性が大きい。きれいな地下水を今後も守り続けるための知恵を伝えていきたい。