〜 特 別 寄 稿 〜 土 壌 汚 染 対 策 と 情 報 開 示 |
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慶應義塾大学 経済学部長 教授 細田 衛士 |
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はじめに 先日、ある大企業を訪れる機会があった。講演を依頼されたためである。講演前に最上階の控え室に通されたのだが、ふと窓から外を見ると、その工場敷地内で掘削と思われる作業を繰り返し行っている光景が目に入った。何気なくその作業の内容を聞くと、意外と簡単に教えてくれた。その作業内容とは、汚染土壌の浄化作業なのであった。そう言えば、その企業は一時、工場内の土壌が汚染されているということで新聞をにぎわした企業であった。 住宅もそう遠くないところにある都心の地域で、汚染土壌の浄化作業を行っているのである。担当者に住民の反応はどうか聞いて見た。予想に反して、住民との関係は悪くなく、別段大きなトラブルはないという。もちろん、その企業は近隣に汚染の事実と周辺環境への影響そして汚染土壌の浄化努力について十分説明したらしい。その甲斐もあってか、住民はその企業の説明に納得し、当該企業との信頼関係を保っているという。情報を開示し、説明責任を果たす企業に対する評価が少しずつ定着してきたようだ。 1.環境管理と汚染防止 さて土壌汚染に関する法律としては、昨年土壌汚染対策法が成立し、本年施行の運びとなった。これまで日本では農業用地の土壌汚染防止法はあったが、それ以外の土壌に関して、汚染を防止する法、あるいは土壌汚染の対策のための法はなかった。先進国で全般的な土壌汚染防止および対策についての法律がない国は、これまで日本くらいであったという。この法律成立を契機に土壌汚染の予防と事後対策が一層進むことが期待されている。 もちろん全般的な土壌汚染対策の法律がないよりもあった方が数段いいに決まっているのだが、今般成立した法律が実際どれくらいの効果を持っているかというと疑問の面がないでもない。その点に関していくつか論点を述べたいと思う。 よく知られているように、徐々にではあるにせよ、土壌汚染対策はこの法律の成立以前から既に始まっていた。例えば、外資系企業は日本で土地を取得する前に環境管理の一環として、土壌の調査をしていた。汚染の可能性のある土地を購入することはリスクの負担を意味する。リスク管理の一環としても購入前の土壌調査は外資企業にとって当然のことであったのだろう。 そうした土壌調査の際に汚染が判明することがあったらしい。一旦汚染の事実が判明すれば、土地の所有者はそれが表ざたになる前に汚染土壌の浄化を行う。もし汚染の事実が発覚し、マスコミに報道されたら地価は下落し、担保価値も下がるだろう。また土地を売ることも難しくなる。そうなる前に汚染土壌の浄化を行っていたのである。以上のことが土壌汚染対策の一つの契機と思われる。 もう一つ日本企業が法律施行以前から土壌汚染対策を始めた理由がある。それはよく言われるように、ISO14001の認証取得にかかわることである。日本企業は、ある時期、とりつかれたようにISO14001の認証取得に走った。しかし、企業内でいくら紙や容器包装の分別を行っても、さすがにそれだけではISO14000の環境管理の中身としては薄い。本格的な環境管理を行おうとすれば、土壌の管理や汚染防止対策は必至である。こうした経緯の末土壌汚染の事実が分かり、汚染浄化対策を実行した企業も少なくないと思われる。形から入ったISO14001のおかげで、実質的な土壌管理が始まったのである。 つまり、土壌汚染対策法の施行以前から汚染土壌浄化対策は少しずつ始まっていたのである。資金力のある企業によるひそやかな汚染土壌浄化は、業界の暗黙の事実であった。もちろん、だからといって同法が無意味と言うことではない。遅ればせながらとはいえ、一般の土地に適用できる土壌汚染対策法ができたことは喜ばしいことだ。 2.事後対策 環境コミュニケーションの重要性 ここで一つ面白い事実がある。環境管理を行った結果、土壌汚染が発覚したとしよう。このとき企業はどのように行動するだろうか。典型的に2つのタイプの行動がある。一つは、既に述べたように、なるべく隠し通して人々に知られる前にひっそりと汚染浄化を行おうとするタイプの行動である。土壌汚染の事実を隠し通せれば、表面上問題は起きない。企業の評判を落とすことなく、今までどおりビジネスができる。 もう一つは、土壌汚染の事実が分かったとき、それを積極的に公表するタイプである。これには勇気が必要である。まかり間違うとマスコミに袋叩きにされ、企業の評判は地に落ちるかもしれない。落ちるのが一時的な評判だけならまだ良いが、株価さえ落ちる恐れもある。そうなったら目も当てられないだろう。 かつては前者のタイプの行動が主要であったように思われる。しかし、ここに一つの大きな落とし穴がある。隠しとおせなかった場合のリスクである。企業は、「あえて土壌汚染を隠した」という、いわば「嘘つき」のレッテルを貼られてしまう。土壌汚染は環境管理の失敗ではあるが、企業倫理に反する行為ではない。環境管理上のエラーは後で修正がきく。しかしその事実を隠すということは企業倫理に反する行為と捉えられてしまうだろう。 土壌汚染の事実を公表することは自らの環境管理の失敗を明らかにすることを意味するが、企業倫理に反した行動をしたわけではない。失敗を認めることは、倫理違反を指摘されるよりはるかに良い。ここに土壌汚染対策にかかわる「環境コミュニケーション」の重要性が明確になる。今や大企業の多くは積極的な環境コミュニケーションを実施し、環境に関する情報開示を積極的に行っている。環境報告書にも、ネガティブ・レポートを書き込む企業も多い。 土壌汚染を隠した企業よりも、土壌汚染の事実を公表し、汚染浄化の対策を行うとともに住民との環境コミュニケーションを行った企業の方が評価されている。こうした事後対策をしっかり行えば、市民からも理解を得るのだ。もちろん法律の成立も重要だが、環境管理の浸透はそれ以上に大きいように思われる。しっかりとした環境管理が浸透すれば、自然と土壌汚染防止と対策は進むのかもしれない。 3.総合環境管理マネジメント しかし環境管理・対策に資金的に余裕のない企業は多くある。むしろそのような企業の方が多数派であろう。土壌汚染対策法ができたからといって、すぐに土壌を調査し、汚染の事実があったら浄化対策を行うという企業の数は少ないだろう。土壌汚染浄化対策の費用が従来いわれているように高ければ、資金的に余裕のない企業は、調査にも浄化にも二の足を踏むに違いない。汚染の事実が仮に分かったとしても、とても公表する気にはならないだろう。費用の工面ができない限りいかんともしがたいというのが本音に違いない。 重要なことは、基本的な環境管理が、資金的に余裕のない中小の企業にもできるようにすることである。それは決して難しいことではない。しかもそれは、逆説的ではあるが、情報の開示が鍵となるのである。 そもそも、なぜ汚染土壌浄化対策には通常言われるような莫大な資金が必要になるのだろうか。もとより技術の問題もあるのだろう。外国で開発された技術をそのまま日本で採用しようとすると、費用が高くなりそうだと言うことはわかる。しかし、それだけが高コストの理由とは思えない。 ここで次のような経済的な側面を見ることは重要である。土壌汚染の事実を隠したい企業にとって、土壌汚染浄化技術を持った企業は独占者である。なぜなら、他の多数の浄化企業と交渉すれば汚染の事実が広まる可能性があるからである。汚染土壌所有者は、浄化企業との窓口を極力小さいものにしようとする。このような場合、浄化費用を下げる力は小さいだろう。 もし汚染土壌を抱えた企業が、その情報を開示し、入札で浄化企業を選んだとしたらどうなるだろうか。浄化技術を持った企業は、それほど数が少ないわけではない。狭い土地には狭い土地なりの安価な浄化技術もあるはずだ。競争の力が働けば、浄化費用もやがては下がるだろう。 これは非現実的な話ではない。地方のゼネコンの技術を活かしながら、全国的な情報交換ネットワーク構築により、そのような安い汚染土壌浄化技術が採用される方向に事態は動いているという。法律作りが重要なことは言を待たない。しかし土壌汚染対策の場合、法律の制定は、必要条件ではあっても十分条件ではない。特に、土壌の場合のように費用のかかるストック汚染浄化の場合、実際的には法律よりも経済がモノを言う場合が多いのである。 4.おわりに 事前対策としての情報管理 ただ法律でも経済でも解けない大きな問題が残る。それは原因者の特定できない土壌汚染である。予想もしなかった土地から重金属やVOC、そして産業廃棄物が出てきた、という話を時々聞く。なぜどのように汚染されたか、所有者にも分からない。汚染者負担原則を追求すること事態が困難なのだ。こうした土壌汚染浄化は、企業の情報開示以前の問題である。 事後的にこうした問題に対応するのは難しい。事後処理はどんな問題でも難しいものだ。しかし、事前的に対応することはできる。少なくとも企業が活動し、少しでも汚染のポテンシャルがある土地では、土地の汚染プロファイル(履歴)を作成し、それを公的機関が管理すべきだろう。管理台帳に載る情報の基本は、環境管理の一環である土壌調査である。土地取引時にさらに土壌の調査を行えば、汚染の原因も特定しやすい。事前対策と事後対策が結びつくことが土壌の管理に必要なことと思われる。 |
著 書 紹 介
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「グッズとバッズの経済学 −循環型社会の基本原理」 細田衛士著 東洋経済新報社 |
「経済学による政府の 役割分析」 細田衛士 他 著 慶応義塾大学出版会 |