国立環境研究所は昭和49年(1974年)に国立公害研究所として設立され、当時甚大な健康被害も発生していた公害問題について、その発生機構の解明、人の健康や生物に対する影響、防止対策に関する研究を行ってきた。国内における甚大な健康影響を伴う公害問題が解決に向かい、より長期、広域の環境、なかんずく地球環境に対する人間活動の影響、また、希少種や生物多様性など自然環境の保全に対する社会の関心が高まってきた平成2年(1990年)には、国立環境研究所として改組され、それまでの国内における局所、地域的公害問題ばかりではなく、地球環境や自然環境の保全を目指した研究も実施することとなった。
国立環境研究所には、170余名の研究者を含め約270名の職員がおり、我が国の国立試験研究機関としてはユニークな研究を実施している。即ち、環境保全に係わる研究は、理学や工学のような自然科学的な研究だけでは不十分であり、社会・人文科学的な研究との総合化・統合化が不可欠であるとの認識の下、自然科学系と社会・人文科学系の双方の研究者が協同して研究を実施できる組織を整えている。また、研究所は大学等外部の組織の研究者との連携を深めて、環境保全に係る効果的な研究を実施している。国立環境研究所に関する情報は、インターネットのホームページ(URL http://www.nies.go.jp/)から入手することができる。
国立環境研究所における土壌環境関連の研究活動の代表的なものとして、廃棄物埋立地の浸出水に関連した土壌汚染、汚染土壌のバイオレメディエーション手法、地球環境変動とカップリングした土壌環境、熱帯林生態系における土壌の役割などがある。また、国立公害研究所時代には、霞ヶ浦の総合的な研究の一環として湖底質の研究が精力的に行われ、現在は、湖の水質改善に止まらず、流域管理計画の一環として土壌環境についても研究を行っている。現在、注目を集めるようになってきた汚染土壌の植物による浄化、ファイトレメディエーションに関連した研究としては、国立公害研究所時代に重金属を濃縮するリュウブやヘビノネゴザなどに関する研究を行い、環境標準資料などを作成した。
今回は、「廃棄物埋立地浸出水」、「汚染土壌のバイオレメディエーション」及び「シベリアにおける土壌からのメタン発生」の3課題について簡単に紹介する。
「廃棄物埋立地浸出水」
廃棄物問題は、今日の我が国において最も重大な環境問題の一つである。最近問題となっている中間処理過程の焼却に伴い非意図的に生成されるダイオキシン問題は、焼却炉の改善など技術的な対策が法的に定められた。一方、最終処分としての埋立処分に関しては、その環境負荷の見積りが容易ではない。国立環境研究所においては、この数年間ほど埋立地の浸出水中或いは発生ガス中の有害化学物質について研究を行ってきた。
浸出水中には多くの化学物質が溶出しているが、特に高頻度・高濃度で検出される化学物質は、有機化合物ではトリス燐酸エステルやフタル酸エステルなどのプラスティック添加物、埋立地内で有機物の分解に伴い生成するフェノール類や有機酸類、無機化合物では燃焼灰に由来するカルシウムなどである。また、近年問題となっている、いわゆる「環境ホルモン」であるビスフェノール−Aも高頻度で検出された。一方、ダイオキシンやPCBなどは水に対する溶解度が小さく、土壌や有機物に対する吸着能が大きいので、浸出水中の濃度の高い試料は少なかった。
今後は、これらの有害化学物質の起源、廃棄物中に元来含有されていたものか、その場合何に含まれていたのか、また、埋立地の中で新たに生成したものかを明らかにする研究を行うこととしている。
「汚染土壌のバイオレメディエーション」
全国各地の土壌・地下水中からトリクロロエチレン(TCE)、テトラクロロエチ
レン(PCE)や1,1,1-トリクロロエタン(TCA)などの揮発性有機塩素化合物が
検出され、これらが発ガン性の恐れのあることから大きな問題となっている。
国立環境研究所では微生物の持つ有害物質分解能力を活用して汚染土壌・地下水を浄化するバイオレメ
ディエーション技術の開発研究を行っている。この技術は、汚染現場に窒素、リン
、酸素やメタンガス等を注入し、現場に生息している微生物を活性化させる方法(バ
イオスティミュレーション)と、培養した分解菌を汚染現場に導入する方法(バイオ
オーグメンテーション)に分類される。特にバイオオーグメンテーション技術の確
立を目指し、バイオレメディエーション技術に関する4つの課題 1)汚染物質分解
微生物の開発、2)分解能の評価、3)導入微生物の安全性・環境影響評価、4)導
入微生物の挙動 について研究を行っている。
浄化微生物として、メタンをエネルギー源として生育しTCEを分解できるメチロシ
スティス属M株、エタンをエネルギー源として生育でき、TCEとTCAを同時に分
解できるミコバクテリウム属TA27株を分離した。いずれの株も、TCE,T
CAを唯一のエネルギー源としては生育できませんが、いろいろの有機塩素化合物を
分解することができる。培養試験の結果、M株及びTA27株は水中濃度35mg/l
のTCEを分解することができ、TA27株は、さらに100mg/lのTCAを分
解できることがわかった。
次に、ガラスカラムに土壌・地下水を充填し、M株を2.5x107細胞/ml添
加し、M株の土壌中TCE分解能について検討した。1mg/lのトリクロロエチレンは1日で90%以上分解され、20mg/lでも20%が分解された。
ついで、M株の迅速計数法の開発を行い、TCEの分解酵素である可溶性メ
タンモノオキシゲナーゼ遺伝子をクローニングし、全塩基配列を解読した。遺伝
子は全長6kbで他のメタン酸化菌とM株との塩基配列の比較を行い、相同性の比較的
低いM株に特異的なPCR(ポリメラーゼチェイン反応)用プライマーを作成した
。このプライマーを用いることにより、従来計数に1月を要していたものが、数時間
で計数が可能となり、M株の制御が大変容易となった。
また、M株の土壌中での挙動と生態影響評価として、魚、ミジンコ、藻類、土
壌微生物相への影響を調べた。その結果M株は比較的土壌中で生残性の高い微生物であり
、魚、ミジンコ、藻類、土壌微生物相等の生態系への悪影響は認められなかった。
M株はTCEで汚染された土壌・地下水の浄化に有効であることが確認された。
ミコバクテリウム属TA27株
「シベリアにおける土壌からのメタン発生」
二酸化炭素やメタンなど温室効果ガスの増大による地球温暖化は、高緯度地帯で最も顕著に現れる。シベリアにおける温室効果気体の発生/吸収は、その規模が大きく、温暖化が強く現れること、生態系が脆弱であるなどの点から、地球規模の重要な研究対象となっている。また、経済システムの変化に伴い大規模な乱開発が行われる可能性がある。IPCC95年報告でも、「高い温度変化が予想される高緯度地帯でのメタンについては正のフィードバックの可能性もあるが、定量化研究は不足している」と評価されている。メタンの発生は、湿原地下に生息するメタン生成細菌の活動に由来するため、本質的にはこのプロセスを微生物学的に解明し、気候変動の影響をモデルを通じて評価する事が重要である。
西シベリアには約3千q2 規模の世界最大の湿原があり、メタンの大規模な発生源であることが明らかになっている。その地球環境への影響を定量的に評価するには、観測の通年化や空間的スケールアップおよび微生物学的な発生プロセス解明が必要である。
国立環境研究所では、過去に様々なメタン発生源での調査を行い、西シベリアの大低地からのメタン発生量が最も顕著であり、その通年的全量を把握することが地球環境への影響という視点で重要であることを明らかにした。そこで、西シベリアのトムスク空港から車で約3時間程の片田舎にあるプロトニコボ村に居をかまえ、さらにそこから8輪駆動車で60分程の湿原において、半導体センサーなどエネルギーやガス消費の少ない自動開閉チャンバーを設置し、メタンおよび二酸化炭素のフラックスを自動測定している。人里遠く離れた湿原であるため、太陽電池で電力をまかない、また、夏場は特に蚊やアブの大群集の中での作業となるため、並々ならぬ決意をもっての研究を行う。この結果、極めて質の高いデータを長期に得ることが出来た。メタン発生量は地温に対する直線関係にあり、その係数は場所によって異なることが明らかになった。また、二酸化炭素の発生量との関係では、場所や地温によらず一定の直線関係にあることが分かった。この事から、衛星画像データによる地表面温度と植生指数とからメタンの発生量を推定できる可能性が示唆された。
また、メタンの発生量はメタン生成細菌の活性と強い相関が予想される。メタンの生成と酸化の速度を各深度で測定することが、ネットのフラックスの変動を理解する上で重要である。湿原植生の各代表地点において深度方向の酸化還元電位を測定し、溶存メタン・溶存酸素およびメタン生成活性との関係を明らかにした。さらに、低級脂肪酸濃度や、地温等の物理化学的環境要因を明らかにし、メタン生成との関連を検討した。メタン生成細菌の深度分布をMPN法および蛍光顕微鏡観察法にて測定し、その概容も把握したが、未だその精度には改善の余地があるため、さらなる検討が必要である。
今後は、メタンの発生・消失の連続反応速度を把握するために、安定同位体ラベルのメタン発生基質を用いた現場でのマイクロコズム試験を行う予定である。また、メタン発生のモデル化を行い、メタンフラックスの観測結果による検証を加えて、将来の気候変動下でのフラックスの推定を行う。いづれにせよ、環境中でのメタン生成菌の挙動に関する研究は、熱帯・亜熱帯地方の水田地帯で行われてはいるが、低温な湿地帯をフィールドとした研究例は少なく、その成果が期待されている。
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